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日記

2026/04/11

アクセシビリティ

アクセシビリティはなぜ行うのか?

ポートフォリオを作るたびに、その終わり際にアクセシビリティ対応として、「Webアプリケーションアクセシビリティ」(技術評論社)を片手に思い出しながら、不足がないか確認している。

前職で、アクセシビリティを極めしスーパーエンジニアの方がいらっしゃったので、よく最適解について教えてもらっていた。

原点に立ち返り、アクセシビリティはなぜ行うのかについて考えてみる。

ユーザーが増える

アクセスできない人が減る→アクセスできる人が増え、表示数UP。これは当然考えられる。
また、「アクセシビリティに強い!」という口コミが広がると、そのサイトを超えてその会社が作るサイトの閲覧数や、案件数もUPする。かも。

どれだけ増えるか。単純に障害者数を調べてみる。

障害者数は、身体障害者366.3万人(人口千人当たり29人)、知的障害者54.7万人(同4人)、精神障害者320.1万人(同25人)であり、およそ国民の6%が何らかの障害を有していることになる。

-内閣府

なるほど。思ったよりは多い印象。
でも、もちろんこの数百万人が必要としているわけではなく、「webサイトにアクセスしたいけど、アクセスできない人数」は見極める必要がありそう。
視覚障害、聴覚障害、上肢障害者の数を調べてみる。

視覚障害31.5万人、聴覚・言語障害36.0万人、肢体不自由181万人

(2018年)

上記障害者の多くは高齢者との記述も見かけたので、少なくとも、250万人程はアクセシビリティを享受できそう。

ユーザビリティも上がる

多くの場合、同じ改善が両方に効くこともある。位の気持ち。

情報の理解しやすさは、もちろん情報の理解に時間がかかる人でもそうでない人にとっても認知不可が下がる。
状況や能力のばらつきに強い設計になるので、結果として多くのユーザーにとって使いやすくなりやすい、というのが根拠。

法の遵守

アメリカでは起訴の例がある。

だが、これはどうだろう。
アクセシビリティという「思いやり」が目的のはずのものを利用している理由が、「法です」というのは、少し味気ない気がする。
ダメ押しの理由には見える。

内省

「MBTI診断」というのがある。昔やってみた時、これがめんどくさくてたまらず、最後まで質問を完了することができなかった。
質問の回答なんて、毎日、毎月、毎年変わるよって思ってたが、これは自分と向き合うことから逃げていただけではないか。
具体的にいうと、自分の考えを確立する根拠を積極的に考えることを避け、自己の不確定性を捉えたくない。面白い動画を見ている方がマシだとさじを投げていたんだと分析。
自分が無意識に抱えている矛盾、独断、偏見と向き合うことはそれだけ不安定な状態になること。だが、ここで考え続けないと、反省的な思考が止まり、自分の言葉で話す能力、自己分析力、コミュニケーション力が落ちることになるんだ。多分。